大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和31年(ワ)280号 判決 1957年4月26日

原告 高木兵蔵

右代理人弁護士 高橋正蔵

被告 尾上年泰

右代理人弁護士 中根孫一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

本件につき当裁判所が昭和三十一年二月二十八日になした強制執行停止決定はこれを取消す。

前項に限り仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

原被告間に、被告より原告に対する当庁昭和二七年(ワ)第二四三号家屋明渡等請求事件について、昭和二十九年七月二十日原告主張どおりの裁判上の和解が成立したことは当事者間に争いがない。先づ右和解条項に定める損害金は何時から支払うべきものであるかについて判断する。

和解条項第二項によれば、明渡猶予期間中の損害金として昭和二十九年七月以降一ヶ月金五千円宛を毎月末日限り支払う旨を定めて七月何日から支払うかを明示していないけれども、成立に争いのない甲第六号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第十乃至第十二号証、乙第一号証、第二号証の一、二、原告本人高木兵蔵の供述により成立を認められる甲第七号証の一乃至四並びに同本人(一部)、被告本人尾上年泰の各供述を綜合すると、右和解が成立するに至つた経緯は、被告がその所有の本件土地及び家屋を昭和二十二年四月二十日訴外小泉喬に売買契約をなし、同訴外人は昭和二十四年二月一日これを原告に売渡し、爾来原告が本件家屋の一部を使用して他を第三者に使用させていたところ、被告と小泉間の売買契約の履行に関し紛争を生じ被告が本件家屋を所有するとして、小泉に対しては右家屋についての所有権移転請求権保全仮登記の抹消登記手続を、原告に対しては本件家屋明渡しの訴訟を昭和二十七年二月当庁に提起したものであるが、右事件において本件土地は訴訟の目的となつておらず小泉が土地代金を支払つていなかつたため、依然として被告の所有であることは当初から問題のないところであつたが、右事件継続中昭和二十九年七月二十日本件土地は被告の本件建物は原告の所有であることを確認して建物収去義務を認める裁判上の和解が成立する運びとなり、被告所有土地上にかねてより原告所有建物が存在することとなる結果同年七月以降の損害金支払いを約して和解が成立したものであることが認められ、叙上和解成立の経過と本件和解の全趣旨並びに成立に争いのない甲第三、四号証の各一、二、右双方本人の供述を併せ考察すると、ここに七月以降というのは和解が成立した同年七月二十日以降の趣旨ではなく同年七月分以降として七月一日より一ヶ月金五千円の損害金支払いの定めをしたものと解するのが相当であり、現に本件請求異議訴訟が提起されるまでは原告本人も亦七月一日以降の損害金を支払うべきものとして後記の如く遅れながらも支払つていたことが認められる。原告本人の供述中右認定に反する部分は措信せず、その他右認定を覆す証拠がない。従つて原告の損害金支払いの始期が七月一日であることを前提としてなす原告主張は理由がない、次に右和解条項第二項に因り猶予期間中の損害金として、原告が被告に対し昭和二十九年九月三十日金一万五千円、同年十二月以降昭和三十年十二月まで毎月末頃各金五千円宛支払つてきたことは当事者間に争いがない。右損害金は前記認定した如く昭和二十九年七月一日から支払うべきものなるにより、右原告の支払つた損害金は昭和二十九年七月一日から昭和三十年十月末日までの分に当ることは明らかであり、而して、翌昭和三十一年一月中に損害金を支払わなかつたことは原告主張自体により明瞭なところであるから、結局原告は昭和三十年十一、十二月、翌昭和三十一年一月と引続き三回分の損害金を延滞したものと認めるの外はない。されば、和解条項第三項に基き原告は被告に対し別紙第二、三目録記載の家屋を収去して第一目録記載の土地を明渡すべき義務を負うに至つたものというべきである。蓋し、同条項は本件土地利用関係が個人的信頼を基礎とする継続的法律関係であることに鑑み、損害金を引続き二回分まで滞納することがあつても、未だ法律関係を継続できないと解される程度の履行遅滞にはあたらないとし、引続き三回分延滞した場合にはじめてこれをもつて信頼関係の破壊であるとして建物収去を認める趣旨の信義則にかなつた約定と解されるから、いやしくも損害金を引続き三回分遅滞したかぎり―これは軽微な遅滞とは解されない―遅滞者の主観的事由の存在の如何にかかわらず、当然建物収去土地明渡を請求し得る権利が発生するものと解すべきものだからである。

そこで、被告が昭和三十一年二月六日原告に対する強制執行のため、右和解条項第二項の義務不履行を理由として第三項に基き執行文の付与を受け代替執行の申立をしたことは当事者間に争いがない。よつて進んで右被告の建物収去権の行使が権利の乱用にあたるか否かについて審究する。

元来法律上権利を与えられた者は任意にその権利を行使し得るのが原則である。けだし社会生活においては所詮共同生活者相互の利害関係の競合は避け得られないのであるから、法律が一定の者のために一定の内容の権利を認める限り、それは必然的にその者の利益のために他の者の利益を排斥することを意味するものに外ならない。

従つて権利者がその権利を行使することによつてたとえ他人に損害を生ぜしめることがあつても、ただその一事だけでこれを妨ぐべきいわれはない。しかし権利の行使が社会生活上到底容認し得ないような不当な結果を惹起するとか、或は他人に損害を加える目的のみでなされる等公序良俗に反し道義上許すべからざるものと認められるに至れば、ここにはじめてこれを権利の乱用として禁止するのである(最高裁判所昭和二九年(オ)第四四六六号昭和三一年一二月二〇日言渡判決参照)。

今本件についてこれをみるに、右甲第三、四号証の各一、二並びに証人高木康雄、同小沢歌江、原告本人高木兵蔵(一部)、被告本人尾上年泰の各供述を綜合すると、原告はこれまで和解条項による損害金の支払いは名古屋市瑞穂区竹田町一丁目七番地所在の被告事務所に赴き殆んど直接被告に手交してきたが、三回分滞納直前に持参していたので、被告より家屋収去の事態が発生しないよう和解条項どおりの履行を再三要求されている内、昭和三十年十一月分については昭和三十一年一月三十一日原告長男康雄をして金五千円を右事務所に持参させたが、既に事務所閉門後であつたので被告の自宅を探したるも夜分のためその場所を明らかにし得ないまま空しく帰宅したので、原告は翌二月一日午前九時頃被告をその自宅に訪れ金五千円の提供(金一万五千円を提供したことは原告本人の供述によるも認められない)をしたところ、被告は期日に後れたとの理由で受領を拒絶したため、原告は同日金一万五千円を名古屋法務局に供託したものであることが認められ、加うるにたとえ、被告が原告の右遅滞を奇貨とし、既に執行交付与申請前に遅滞分全額の供託通知を受領していることをも顧慮せず、従来意図していた本件土地明渡の望みを達せんがため強制執行に着手したとしても、これらをもつては、未だ前示した権利乱用の事由にあたるとは認められないから被告の権利行使にその乱用ありとしてこれを禁止するには足りない。却つて叙上認定事実に徴すると、原告は損害金として被告に昭和二十九年九月三十日に至つて七、八、九月分金一万五千円を支払い、十二月二十八日に十月分を以後毎月末頃金五千円宛約二ヶ月後れて支払つており、従つて最初の支払いから三回分延滞となる直前に支払い、その後においても三回分延滞となる直前にようやく一回分宛支払つて昭和二十九年十二月から昭和三十年十二月まで常に二回分の延滞を継続しており、その間再三にわたり被告から和解どおりの履行の催告を受けていたにかかわらず昭和三十一年一月末日の経過によつて遂に三回分を延滞するに至つた事情が認められ、しかも成立に争いのない乙第三号証並びに証人高木康雄の供述によつて、原告は自家用自動車を所有していることが認められる点よりして、右延滞は生活困窮のための手許不如意によるものではないことが窺われるから、原告は和解成立当初から義務の履行について信義にもとるところがあつたものといわざるを得ない。

その他原告全立証によるも、被告の権利行使が、客観的にみて社会生活上容認できない不当な結果を惹起するとか、或は主観的に他人に損害を加える目的のみでなされる等信義誠実の原則にもとり公序良俗に反し道義上許すべからざる権利の乱用にあたる如き事実は到底見出し難い。なお、原告は本件家屋に原告以外の多数の人が居住するから家屋収去によつて莫大な損害を蒙る旨述べるが、これは原告自身が収去を拒む何等の理由になるものではない。従つて原告の権利乱用の主張も亦採用に値しない。

よつて、原告が被告に対し右和解調書の執行力の排除を求める本訴請求を理由のないものとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を強制執行停止決定の取消及びこれか仮執行宣言につき同法第五百四十八条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 榊原正毅)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例